日常とか、通常っていうものが、どういうものだったか
何だかよく分からなくなってきたような気がします。
『常』ってなんだったんだろう。
プレスクールが無事に終わって、
予定していた3歳検診と大阪の治療が終わったら、
両親が引き上げる前の金沢で少しのんびり過ごして、
東京に戻ったら入園式と新学期の準備だなぁなんて考えていました。
3月11日は、璃久を母に預けて久しぶりに1人で丸の内に行っていました。
14時46分、地震が起きた瞬間、地下2階にいた私は、階段を駆け上がり地上に出て、
ざわめく人ごみを掻き分けながら通りでタクシーに乗り込み家路を急ぎました。
「とにかく、うちに帰らなくちゃ」
頭の中は璃久のことでいっぱいでした。
家に着いて璃久と母に会えたときには本当にホッとしました。
夫は出張中だったし、とりあえずここで3人で集まれれば、
もう心配はいらないと、心の底から安堵しました。
こんな時に限って一緒にいられなかったことを悔いる気持ちもあったけれど、
だからこそ、璃久のいる家に帰ることしか頭になかったことで、
それさえあれば何もいらないと思えるってことに気づかされました。
この時まだ、この地震の被害の甚大さは知る由もありませんでした。
日に日に刻々と深刻な被害を目の当たりにし、
余震と不安に怯える日々を過ごすことになるのでした。