今日病院に検診に行ったところ、「あと1週間内には産まれるかなぁ」とのお言葉。
我が家が2人家族でいる時間も、私が自分の意のままに生活ができる時間も、
残り時間がもう、あとちょっとしかないようです。
どんな変化が起こるのかは想像の域を超えています。
楽しみよりも、今とは違う生活がやってくることへの
不安の方が大きかったりもします。
でも「不安っていうのは子供に伝わるから」とよく言われるので、
いいように、いいように、イメージを膨らませて、
不安を遠くに追いやろうとしたりもします。
新しいことへの不安だったら、今までの人生にも多々あったと思うので、
それとは違うのは、やっぱり、1人の人生を作り出してしまうという、
責任感からかなぁ、なんて思います。
お正月休みに続き、先週末の連休中も、
父がゴルフの為に金沢から茅ヶ崎の家に滞在していました。
父と娘という関係は、何だか微妙です。
夫や母や弟が、おなかを触って「あ、動いた!動いた!」と盛り上がっている時も
手を出すことなく、ちょっと離れたところから見ていたりするのです。
何だか照れくさくて。お互い。
ずっと、「そんなもんだ」、なんて思っていたけれど、
いよいよ父が金沢に戻る日、次に会うのは産まれた後だということに気付きました。
そうなると、これが私が誰かの母親という立場でなくて、
純粋に「父の娘」として会える、最後の時なのかも、って思ったら、
何だか、ずっと微妙に距離をおいていた時間をとても悔いてしまって。
早くに家を出る父の起床に合わせて、コーヒーを淹れ、少し話をする時間を作りました。
特別何か話そうと思ったわけではないけれど、照れずに向かい合ってみようと。
そして家を出る前に玄関で、「最後だから記念におなか、触ってみて」と言うと、
「初めてだなぁ」と感慨深げにおなかをさすってくれました。
母に「よろしく頼む」と一言告げて家を出た父に、
いろんな思いが交錯して何故だか涙が止まらなかった。
とても心配してくれてるんだ…と。
ありがとう、と。
もうすぐ、今は私しか感じられないこの子の存在を、みんなが感じられるようになるんだなぁ。
それは子供にとっても、周りの見守ってくれているみんなにとっても、幸せなことなのかな。
おなかの中にいる間、私は子供の存在を存分に感じることができるけれど、
夫なんかは、たまにおなかを触った時に感じる胎動しかないので、
早く産まれてこないかなぁと、とても楽しみにしています。
そういう姿を見ると、この世に早く誕生させてあげたいかなとも思ったり。
その思いが不安より、もうひと頑張りだぁという気持ちを強くしてくれるような気がするのです。
最近、私はそんなことを考えながら日々を送っています。

ちょっと焦りを感じたり、不安を感じた時に、
「じっと子供を見て、感じればいいんだよー」と
そう言ってくれているような気がする一冊、
「
育児の原理」。
これを読むと、私にもできるかも、と勇気をもらえる
私にとって唯一の育児書です。