ずっと、ずっと行きたかった展覧会。
『
シャルロット・ペリアンと日本』。

鎌倉の県立近代美術館では去年のうちに開催してたのかな?
目黒区美術館にも巡回すると聞いていたので、ずっと楽しみに待っていました。
ペリアン展といえば、1998年に新宿の『OZONE』であった展覧会にも行ったなぁ。
ル・コルビジュエの片腕となって、家具などのデザインを手がけているすごい人なのに、
ガツガツしてなくて、女性らしい可愛さみたいなものを感じさせる素敵な人だなぁと
感銘を受けたのをよく覚えています。
あれから14年。
自分なりにこの時代の背景にも理解が深まり、
14年前よりずっと深くこの展覧会を観ることができたような気がします。
ペリアンはコルビジュエに認められ、コルビジュエの事務所で共同作業をすることになります。
建築と中のインテリアは一緒にデザインされるべきだと言いながらも、
家具のデザインが得意でなかったらしいコルビジュエは、
ペリアンを頼りにしていたんだろうと考えられます。
コルビジュエの事務所で、日本人建築家、坂倉準三や前川國男と同僚として働き、
その坂倉準三や民藝運動の中心にあった柳宗理の推薦で日本の商工省から招聘され、
内容の濃い7ヶ月間を過ごすことになります。
1940年、日本に招聘されたとき、ペリアンは37歳。
そして日本に向かってフランスの港を立ったのが、
ナチスによるパリ陥落の翌日だったそうです。
戦争状態の時勢の下で、どれだけの使命感をもって日本の地へ赴いたのか、
その心中を察すると、同世代の女性として非常に感慨深いものがありました。
14年前の展覧会ではなかった視点です。
ペリアンは41年までの任期を終えた後、インドシナに移り、
そこで後にエールフランスの日本支社長になる男性と結婚し、
戦後に再び日本で生活をすることになり、子供を育てながらも創作活動に励み、
大きな展覧会を開催するなど、とても日本に縁の深い人生を送られるのでした。
1999年に96歳で亡くなるまで、戦争に起因する軍事的な国の思惑なども背景にある波乱の時代を、
日本の伝統工芸に理解を深め、様々な芸術家たちに影響を与えてきた功績は重大なものだと
改めて感じる素晴らし展覧会でした。